源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
和解
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和解

志賀直哉【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1949(昭和24)年12月発行
1969(昭和44)7月改版
2011(平成23)年11月改版

順吉くんは父親との関係がぎくしやくしてゐます。はつきり言へば不仲であります。かつて足尾銅山の鉱毒事件を調べやうと行動を起こした順吉くん。しかし父親は、今ふうに言へば財界人。足尾銅山の経営者とも浅からぬ関係があり、そんな問題をほじくる息子を立場上許すことが出来ませんでした。まあそれが元で父子の間に溝が出来たやうです。尤もこれは順吉くん側の言ひ分ですが。

そんな状態ですので、順吉くんは父のゐる麻布の実家から出て、我孫子に妻と赤子とともに生活してゐます。順吉くんは祖母に顔を見せる為に、父のゐぬ間にこつそりと麻布の家に行つたりする。この行為が、更に父の態度を硬化させてゐます。周囲は、二人の反目を悲しく思ひ、何とか和解をして欲しいと願つてゐます。しかし順吉くんは、その解決のために、赤子を利用せんと考へる周囲の空気に反駁するのです。その心持は分かりますね。
しかし、この赤子の運命は......

表題が『和解』なので、読者はきつと、最後には和解するのだらうなと予想するでせう。その通りなのですが、和解が成る瞬間といふのは、案外呆気ない。読者は「さあもうすぐ感動の和解シーンだな。もうこちらは泣く準備が出来てゐるぜ、カモーン」と待ち構へてゐるでせうが......あ、あんまり余計な事は言はぬやうにしませう。

志賀直哉氏の文章と言へば、過剰な装飾がなく贅肉が削ぎ落されて、含蓄を含んだストイックなものといふイメエヂでせうか。谷崎読本でも褒めてゐましたね。
本作でもスィンプルな文章が並んでゐます。お陰で文末が「~た」「~た」「~た」の連続で、単調な印象を受けます。得意の「不快だつた」も健在。食べ物に例へるなら、「特に美味しいものではないが、一度食べると病みつきになる」類ひのものでせうか。何しろ、「小説の神様」ですから、神様がツマラヌ物を書く筈がない......と書いて、我ながら毒が含まれてゐるなと反省。

ところで、本作でも出てきますが、赤子をあやす時に「おお誰が誰が」などと申します。わたくしの周囲でも、年配女性が昔よく発してゐました。どういふ意味なのでせうか。誰がお前を泣かせたといふ意味ですかね。「おお誰が誰が」



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