源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
道草
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道草

夏目漱石【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1951(昭和26)年11月発行
1969(昭和44)年2月改版
2011(平成23)年3月改版

いやはや又もや間が空いてしまひました。
さて、昨年(2016年)は漱石の没後100年といふことで盛り上がつてゐましたが、今年は生誕150年に当るのでした。二年続けての漱石イヤーなので、わたくしも『道草』を開いた次第であります。

』『こころ』などと同様に夫婦の問題が描かれてゐます。しかし『道草』がそれらと違ふのは、ほぼ漱石自身の体験を綴つた「自伝的小説」であるといふところですね。主人公の健三が即ち漱石本人がモデルであります。妻のお住が鏡子夫人、さらに金をたかる島田のモデルは養父の塩原昌之助となつてゐます。

ロンドン留学から帰国した漱石。英国では精神的にまいつたやうで、神経衰弱になつて、いはば志半ばで帰国する訳です。その後漱石は『吾輩は猫である』で世に出て、朝日新聞社の専属小説家となります。本作の冒頭に「健三が遠い所から帰つてきて」とあるのは、漱石がロンドンから帰国した事を指してをります。
本作の後は絶筆となつた『明暗』を残すのみで、漱石としては最後期に属する作品。もうこの時期になると、初期に見られた諧謔調は姿を消し、重苦しい雰囲気で物語が進むのであります。

夫婦関係はきくしやくしてゐます。夫は空疎な理屈を振り回す思ひやりのない変人として描かれ、妻は怠惰で夫の仕事にあまり協力的ではないやうに見えます。現在の目から見ると、お住は特段の悪妻とも思はれませんが、毎日夫よりも遅く起きるなど、明治の世では非難されるべき一面があつたのでせう。
しかし後にお住が出産する際には、何だかんだ言つて夫婦の結び付きを感じさせる場面もあり、ちよつと安心します。

序盤で島田に出遭つてから、後の色々な面倒(金をたかられる)を示唆するところなどは、読者の興味を誘ひぐいぐい引張ります。そして徐々に島田が接近する様子は、まるでサスペンス小説のやうであり、読者はどきどきしながら先を急ぐのであります。漱石はまるでエンタメ作家ですね、好い意味で。
それにしても「島田」がかういふ卑しい人物に描かれて、モデルの塩原昌之助の子孫の方は、この小説をどう感じるのでせうか。

漱石を余裕派と呼び揶揄してきた自然主義派が、『道草』で初めて漱石を認めたとの話もありますが、あくまでも自伝的小説であつて、従来の作風を変へてはゐないと存じます。小説作法の上手であるだけの話です。
「世の中に片付くなんてことは殆どありやしない......ただ色々な形に変るから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけの事さ」

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