源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
考える人
考える人 (新潮文庫)考える人 (新潮文庫)
(2009/01/28)
坪内 祐三

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考える人
坪内祐三【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2009(平成21)年1月発行


『考える人』。実に大雑把かつ壮大なタイトルであります。
坪内祐三氏がいふ考へる人とはどんな人か。そもそもどんな人でも、深浅の相違こそあれど考へる人でせう。本書では、トップの小林秀雄からトリの福田恆存まで16名選抜して論じてゐます。

この16人の中には、ちよつとわたくしが苦手な(ありていに言へば嫌ひな)人物も混じつてゐますが、さういふ人でも坪内氏の筆にかかれば、なんだか魅力的に思へてきて「いつちよう、今度読み直してみますかな」と思はせるに十分なのであります。
今わたくしは「筆にかかれば」と書いてしまひましたが、坪内氏は実際には恐らく「筆」は駆使してゐないのではないかなあ、とも思ひます。もとより比喩表現としての「筆」ではありますが、きつとこれも福田恆存氏の非難する、良くない紋切り表現の一例なのでせう。

印象的な部分をひとつ上げますと、武田百合子氏にとつての「考へること」が、「見ること」と繋がつてゐるといふくだりであります。『日日雑記』を例にとり、「動物的な反射神経のよさ」を指摘しました。ほほう。一見好き放題に書いてゐるやうですがね。

わたくしが読んだことがある作家の作品も、本書の視点からもう一度読むと、新しい発見がありさうです。



今年も成人式の季節がやつてきました。わが豊田市内も、着飾つた男女の新成人が街を闊歩してをります。
全国各地で、毎年阿房な新成人がいろいろ騒ぎを起してマスコミの好餌となるのであります。幸ひ豊田市ではいまのところさういふ恥づかしい事例は無いやうでなにより。
若者の質的低下を問ふ声は昔からあるけれど、わたくしがこの数年感じるのは、今の若人たちは平均して行儀が良いといふこと。良い意味でね。若いのに分別があるといふか。それに比べたら我我中高年世代や、その上のぢぢい世代の方が余程「世間知らず」で、困つた人が多いと感じます。ま、かういふ人たちの運営してきた我が国ですからね...

おつと余計な事を申しました。ではご無礼します。

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読書論
読書論 (岩波新書)読書論 (岩波新書)
(1964/11)
小泉 信三

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読書論
小泉信三【著】
岩波書店(岩波新書)刊
1950(昭和25)年10月発行
1964(昭和39)年11月改版


読書論。などと名乗ると堅苦しいのですが、何のことはない、読書の悦びについて、一冊丸ごと語る本であります。今から63年前の初版とは思へないほど、本好きの思考回路は変つてゐないことが分かり、微苦笑を禁じえない、と言つたところでせうか。

第一章「何を読むべきか」、第二章「如何に読むべきか」は余計なお世話ですと片付けることも出来ますが、多読の勧めは理にかなつてゐる。本を選ぶ際の選球眼は、ある程度読書量がないと養へないと勘考するものです。

第三章「語学力について」、第四章「飜訳について」では、読書にも外国語の知識が必要となることを説いてゐます。もつとも、昔の岩波文庫赤帯の翻訳は、酷い誤訳だらけだつたと聞いてゐますが。

第五章「書き入れ及び読書覚え書き」。読んだ本を自らの血肉とするにはどうすれば良いか、のヒントが書かれてゐます。文豪たちの書き入れは(特に夏目漱石)実に愉快ですね。

第六章「読書と観察」、第七章「読書と思索」では、受動的に本を読むだけでふむふむと納得するだけでは、結局他人の思考を自分の頭でなぞるだけであるといふ危険性に言及してゐるのだ。

第八章「文章論」。ある程度読書人としてのレヴェルが上ると、文章論は避けられないさうです。さうなのか? 

第九章「書斎及び蔵書」。昔も今も変らない、読書家の永遠の悩みであるとともに、愉しさであります。理想を語るのはタダですから。

第十章「読書の記憶」は、著者小泉信三氏の読書自叙伝となつてゐます。あくまでも小泉氏の読書遍歴なので、一般人が参考にするやうなものではなく、一種の読み物と申せませう。

先ほども述べたやうに、読書好きの興味は、昔も今も変らないやうです。本書がいまだに流通してゐるのは、そんな事情もあるのではないでせうか。そして一生に読める本の量を類推して絶望し、選択眼が向上する。
ま、たまには外れを引いて、くだらぬ本と付き合ふのも愛嬌かな、とも思ひますがね。

ぢやあ、こんなところでご無礼します。

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広告みたいな話
広告みたいな話 (新潮文庫)広告みたいな話 (新潮文庫)
(1990/10)
天野 祐吉

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広告みたいな話
天野祐吉【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1990(平成2)年10月発行


天野祐吉さんの突然の悲報には驚いたのであります。最近までテレビでも拝見し、わが家で購読する新聞紙上でも、CMについての連載を続けてゐたといふのに。
実は、筑紫哲也氏亡き後、判断に迷う問題などの羅針盤として密かに頼りにしてゐた人でした。大衆に分かりやすく、ユウモワも交へつつ、実は深い問題を突つ込んで、なほかつ権力にも迎合しない。カッコイイ人だなと感じてゐただけに、まことに残念であります。

『広告みたいな話』は、文字通り得意の広告の話かと思つたら、広告の話はほとんど出なくて(だから「みたいな」と入つてゐるのか)、五つのキイワードから現代を読み解いてゐる本であります。

まづ「無重力の時代」。新人類ブーム、遊園地ブーム、温泉ブームから無重力感を感じる理由を述べてゐます。新人類なんてのは時代を感じさせます。
続いて「言文一緒の時代」。言文一致ではないさうです。現代の書き言葉に元気がなく、危篤状態であると指摘します。ニュース原稿の「書き言葉」振りは、その後ますます拍車がかかつてゐるのではないでせうか。
「カフェバーの時代」では、天野流カフェバー入門が開陳されます。カタカナ職業の人たちが中心の世界ださうです。カフェバーの客がみな、なぜサメた表情をしてゐるのかを考察してゐます。
続く「ハンフリーの時代」。ハンフリーとは外来語ではなく、半分フリーの人たちを省略した天野さんの造語でした。精神的にはハンフリーの人は、現在相当数に上るでありませう。
最後の「テレビの時代」では、突然マクルーハン論が始まり戸惑ふのですが、これが中中面白い。短いブウムで終つてしまつたが、天野さんはマクルーハンからテレビの見方をいろいろ教はつたさうです。

巻末に多田道太郎氏との対談も収録されてゐて、まことにお得な一冊と申せませう。
かうして見ると、我我は改めて惜しい人を失つたことが分かります。
改めてご冥福を祈るものであります...

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整理学
整理学―忙しさからの解放 (中公新書 13)整理学―忙しさからの解放 (中公新書 13)
(1963/05)
加藤 秀俊

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整理学―忙しさからの解放
加藤秀俊【著】
中央公論新社(中公新書)刊
1963(昭和38)年5月発行


この本が書かれた昭和38年とは、翌年に東京オリムピックを控へ、日本中が沸き立つてゐた頃。わたくしはまだ生まれてゐませんが。
高度成長の真つ只中で、当然経済活動も活発化し、情報も無差別に飛び交ひはじめた、さういふ時代であります。
 
ひつきりなしに、問答無用で我が身を襲ふ資料や書類。特に当時は今のやうに「ペーパーレス」なんて概念はほとんどなかつたでせうから、紙の洪水の中で仕事をしてゐたのでせう。
当時のサラリーマン映画やドラマの中で、上司が部下に「これ、明日までに頼むよ」などと言つて、山のやうな書類をドスン!と机に乗せるシーンがしばしば見られました。いはば紙の量=仕事量で、多忙な人ほど、その整理の必要性が高まつてゐたのです。

そんな時代背景の下、著者と友人たちとの雑談の中で、「整理学」なる造語が誕生します。
言い出しつぺは誰なのか判然としないさうですが、まあそれはどうでもいい。とにかく、この夥しい量の資料をなんとかせんといかんね、といふ発想が当然出てきます。

そんな昔の話、現在のIT社会とやらに何の役にも立たんよ、と思ひますか。たぶんさうではないと、わたくしは勘考します。何故なら、本書では「記録」「分類」「いれもの」に注目してゐるのですが、これらは最新のメディアでもやはり重要なファクタアとなつてゐるからです。
そして、著者の次の言葉に象徴される、整理の「本質」は未来永劫変らないのではないでせうか。

「...あらゆる「整理」は暫定的なものである。(中略)「忙しさからの解放」といっても、ラクな解放感をうけとっていただいては困る。整理は、人間にとっての、楽しい、そして無限の苦役の一つなのだから」(「まえがき」より)

さう、整理は面倒くさいなあといふ面があるのと同時に、楽しみでもあります。本書でその楽しみ方も伝授して貰ひませう。

では御機嫌好う。

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現代フランス文学作家作品事典
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現代フランス文学作家作品事典
佐藤朔/白井浩司/若林真【編】
講談社(講談社学術文庫)刊
1981(昭和56)年11月発行


本書の指す「現代」とは、二十世紀以降のことらしい。確かに十九世紀仏文学といへば百花繚乱、世界を代表する文学者を多く輩出したのであります。
従つて十九世紀仏文学については、概観する書物も多く充実してゐるのですが、一方二十世紀(特に第二次大戦後)の仏文学については、単品はともかくそれを俯瞰するかたちで述べるものが目立ちません。
少なくともわたくしが学生であつた時分はさうでありました。

そこで本書。1981年の初版だから既に30年以上前なのですが、画期的な書物ですよ、これは。
実は仏文科学生だつたわたくしも本書を愛用してゐました。何かと重宝します。ユウスフル。
ロマン・ロランからル・クレジオまで何と75名の文学者を収録してゐます。堂堂928頁のヴォリューム。事典の名に相応しいと申せませう。

作家一人につき、その簡略な評伝、評価、そして代表作の梗概で構成されてゐます。この梗概がまた良く出来てゐる。編者の一人である佐藤朔氏も述べてゐるやうに、梗概を書くといふのは大変な作業でありませう。労作とはかかる書物のことを指すのでせう。

あたまから読んでも良いし、事典らしく必要な箇所をまづ引いてみるのもよろしからうと。巻末の参考文献や年表も嬉しい付録であります。
残念ながら現在は絶版。しかし入手方法はあると思はれるので、興味の有る向きは調べてみてください。自分でね。

現代フランス文学作家作品事典 (講談社学術文庫 (390))現代フランス文学作家作品事典 (講談社学術文庫 (390))
(1981/11)
佐藤 朔

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