源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
「動く大地」の鉄道トンネル
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「動く大地」の鉄道トンネル 世紀の難関「丹那」「鍋立山」を掘り抜いた魂

峯﨑淳【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2011(平成23)年10月発行

鉄道を敷設するに当つては、山あり谷あり大河ありで、それらの障害を乗り越える為に橋梁を架け、トンネルを掘ります。
橋梁は建築中の様子がよくわかり注目されます。完成したら乗客は眺望を楽しんだりしてゐます。観光地スポット化する場合もございます。
一方トンネル工事は、一般人の眼に触れることはまづなく、完成して初めて、利用者としてその存在を認識するといふ程度ですな。車窓を愉しんでゐる汽車や電車の乗客は、トンネルに入るとチッと内心舌打ちし、「なんだ、またトンネルかよ」などと心無い事を言ひ放ちます。そんな方に、この『「動く大地」の鉄道トンネル』を読んでいただきたい。

第1章「日本の鉄道トンネル」は概観。日本の地層は諸外国と比較しても複雑なのださうです。どこを掘つても断層だらけで、活断層も少なくありません。いかに地質学が進歩た現在と雖も、トンネルは「掘つてみなければわからない」部分が残るとか。日本は英国などから鉄道技術を学んだ訳ですが、トンネル掘削技術については海外のノウハウはあまり役に立たず、結局日本人自らが切り拓いてきたさうです。

第2章「トンネルの造り方今昔」では、掘削技法の歴史を振り返つてゐます。これほどの工法の種類があるのかと驚きます。地質学の基礎すら知識がない当方としては、専門用語がぽんぽん出てくるので一々理解するのに時間がかかるのであります。わたくしが愚鈍なだけか。

第3章は「丹那トンネル」。日本のみならず世界に目を向けても、「丹那」は最難関クラスのトンネルでした。着手から完成まで16年を費やし、67名もの犠牲者を出した、悲劇の難工事です。わざわざ丹那トンネルに一章を割いてゐるのは、「日本のトンネル工事を知るには、また日本でトンネルを掘る人々を知るには、丹那トンネルの苦闘を知ることが一番」(「はじめに」より)といふ理由ださうです。

第4章では「鍋立山トンネル」の苦難を紹介。海千山千のトンネル堀り達が途方に暮れた、前代未聞の地層でした。こちらは休工期間があるとはいへ、何と22年の年月がかかつてゐます。海外の学者は「掘るべきトンネルではなかつた」と批判しました。しかしそれでも掘らねばならなかつたのであります。

第5章「日本の地質の特徴」では、日本列島の7つの地質体を解説。日本の地質はあまりにあまりに多様で変化に富むため、「地質基準」を策定するのも平成に入つてからと遅くなりました。さらに最新の研究成果を反映させるために、5年ごとに見直すのださうです。

終章は、「思い出のトンネル屋たち」。著者が忘れ得ないトンネル技術者たちを四名紹介してゐます。いづれも人間的魅力に満ちた、責任感ある人たちですが、決してトンネル屋の代表選手といふ訳ではなく、その誠実な生き方に著者は感動したのだと言ひます。

鉄道トンネルについて理解を深めるには良い入門書だと存じます。現在リニア中央新幹線でも、南アルプスを貫くトンネルの工事が始まりました。ここでも難工事が予想されてゐます。リニアはトンネルばかりで車窓が愉しめないだらうと文句を言ふ人が多いですが、本書を読んでトンネル屋の辛苦を少しでも知れば、乗車中に列車がトンネルに入つた時、今までとは違ふ気分で過せるでありませう。



全国鉄道事情大研究 青函篇
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全国鉄道事情大研究 青函篇

川島令三【著】
草思社刊
2016(平成28)年9月発行

「はじめに」にも記述がありますが、このシリーズの前作『中国篇②』が刊行されて以来、何と7年ぶりの新作であります。過去最大のブランクですので、もうシリーズ継続は諦めたのかと思つたほどでした。
残るは東北・北海道地区なのですが、この間に発生した東日本大震災の影響で東北の鉄道事情は大きく変化してしまひました。恐らくこれも空白期間が長引いた一因なのでせう。

前作の帯による予告では、次回配本「東北篇①」となつてゐましたが、近年の変化が著しい青函地区を取り上げ、最新刊は『青函篇』として発表されました。北海道新幹線の開業を待つての執筆だつたと思はれます。
北海道新幹線については、予想通りその遅さに言及してゐます。北陸新幹線の場合は、整備新幹線標準の時速260キロでも(東京駅から北陸各都市まで)2時間台のため、あまり問題にされませんが、より遠距離の新函館北斗までは(東京駅から)4時間2分と、航空機に対して優位に立てる数字ではありません。青函トンネルが諸問題によりネックになつてゐるのも痛いところです。

その他、JRから切り離された「道南いさりび鉄道」を始めとして、本書に登場する路線は、経営の厳しいところが多い。それなのに漫然と各駅停車をちんたらと走らせるだけの地区には、川島氏も苛立ちを隠さぬ筆致ですな。
過疎地区では少子化などにより利用者は減る一方なのに、これといつた手を打てないままの鉄道会社が目立つのです。このままでは座して死を待つ(廃線になる)だけなので、沿線の観光資源を活かした施策を打ち出すことが必要であると。例へば津軽鉄道。金木駅から太宰治記念館まで馬車鉄道を走らせよとは、いかにも川島氏らしい提言ですが、まあやらないでせうね。

何かと批判される川島節、上から目線の「~すべきである」「~といえる」「~せよ」「~する必要がある」といつた断定調も健在であります。いや、わたくしは大好きなんですけどね。寧ろ、まだ生ぬるいと感じてゐます。
さあ、次回配本は「北海道篇」ださうです。いつになりますやら。



水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン
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水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン 私はなぜ九州新幹線に金箔を貼ったのか?

水戸岡鋭治【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2009(平成21)年8月発行

本書はライターの渡邉裕之氏が水戸岡鋭治氏にインタヴューしたものをまとめたものださうです。聞き書き。ゆゑに読者の眼前で語つてゐるやうで、まことに分かりやすい。

実は水戸岡氏に対するイメエヂは、わたくしにとつて必ずしも芳しいものではございませんでした。評判を取つた787系にしても、外観はともかく居住性に関しては不満が残るものでした。あれなら783系(ハイパーサルーン)の方が陽気でエキサイティングで、乗つて愉しい電車だと思ひます。
ところが、九州新幹線が開通して800系が登場しますと、一気にこの電車に惚れこんでしまひました。続いて「いさぶろう・しんぺい」をはじめとするキハ40系改造車。走行路線の魅力と相まつて、実に愉快痛快であります。少なくとも国鉄時代では考へられぬ概念をもつた列車群と申せませう。

水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン』は、水戸岡氏が鉄道デザインについて如何なる思想を有してゐるのか、その一端に触れる事ができる一冊であります。デザインに正しいとか、正しくないとか区別が有るのか?とも思ひますが、まあいいでせう。特に第三章・第四章は、鉄道を離れて、一般ビジネスマンの仕事にも参考になると存じます。
「これまでになかつたもの」を求めるJR九州と水戸岡氏との、世にも幸福な出会ひが実現した経緯も面白い。

ただ、第五章で述べてゐる「大鉄道時代」は、もう来ないと思ひます。水戸岡氏は、鉄道が「再び注目」されてゐると語つてゐますが、残念ながら陸路交通の手段としては、新幹線と大都市交通線以外は衰退するでせう。否もう既に瀕死の状態ですね。
例へ「ななつ星in九州」のやうな超豪華列車が花盛りになつても、それは鉄道の復権とは関係ありますまい。むしろ滅びゆくものへの挽歌を連想するのはわたくしだけでせうか。ああ、さうですか。それなら良いけど。
国が「クルマがなければ生活出来ない」社会を目指してきたわけで、現状は十分予想できたと申せませう。特に地方では少子化・過疎化も著しく、鉄道の衰退に拍車をかけてゐます。

理想を語るのも大切ですがね......



名古屋駅物語
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名古屋駅物語 明治・大正・昭和・平成~激動の130年

徳田耕一【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2016(平成28)年4月発行

JR名古屋駅(名駅)が開業して、今年で130周年であります。駅構内に「ありがとう130周年」ののぼりが掲げられてゐるので、目にした人も多いでせう。
このタイミングで、『名古屋駅物語』が上梓されました。著者は東海地区の鉄道事情に関する著書多数の徳田耕一氏。徳田氏は自身が名駅界隈で生まれ、その成長ぶりを生で知る一人であります。これ以上の適任者はございますまい。

現在でこそ名駅は中部日本を代表するタアミナルですが、元来東西を結ぶ幹線鉄道は、中山道経由で建設される予定でした。即ち名古屋はメインルートから外れる運命にあつたと。それを当時の名古屋区長(現在の市長にあたるさうです)であつた吉田禄在が、中山道の山越えでは工期も資金も膨れ上がると主張、東海道本線の優位性を説きそれを実現させたとか。ほほう。吉田禄在氏は名古屋の大貢献者なのですね。

元元名古屋は城下町として栄えましたが、決して交通の要衝ではありませんでした。そんな名古屋のタアミナルは、西の外れ笹島に設けられたのであります。今から130年前、1886(明治19)の事でした。当初は名護屋駅と名乗りましたが、翌年名古屋駅に改称されてゐます。もつとも周囲の人々は「笹島ステンショ」と呼称したとか。
この初代名古屋駅は、僅か2面2線の小ぢんまりした規模で、現在とは比ぶべくもないものでした。しかし1891(明治24)年の濃尾地震で駅舎は倒壊、直ちに二代目駅舎が再建されました。規模こそ二倍になりましたが、施設としては2面3線と、特段に変化があつた訳ではありません。

そして1937(昭和12)年、客貨とも利用が膨大に増えた名古屋駅は、手狭な二代目から北北西に位置を移し、三代目駅舎の誕生を迎へます。ホーム4面13線となり、タアミナル駅としての風格も具へ、「東洋一」の規模と呼ばれました。
翌1938(昭和13)年には関西急行(近鉄の前身)名古屋駅が国鉄駅の地下に開業し、さらに1941(昭和16)年には、名鉄の新名古屋駅も開業。これは、北の押切町と南の神宮前で市内タアミナルが分断されてゐたのを、地下を介して直通させたもので、名古屋本線がここに全通したのでした。このあたりが戦前の名駅全盛期でせうか。

戦中戦後の最悪期を乗り越えた名駅は、1957(昭和32)年、念願の地下鉄が開業。同時に路面電車の衰退が始まります。
1964(昭和39)年は、ご存知東海道新幹線が開業。名古屋の新幹線駅は、在来線の西側に作られました。ドヤ街の立ち退き問題とかありましたが、この一大闇市はさう簡単に消滅しません。駅西の妖しい匂ひは、現在でもプンプンいたします。

一方国鉄は分割民営化といふ歴史的転換を迎へ、名駅はJR東海の顔として君臨します。1999(平成11)年には、新たなシンボルとなる超高層ツインビル「JRセントラルタワーズ」が開業。以後名駅周辺の高層ビル化が進むのであります。
次なるビッグプロジェクトは、何と言つてもリニア中央新幹線の名古屋駅開業でせう。如何なるスーパーターミナルとして生れ変るのか、目が離せぬところであります。

徳田氏は名駅の歴史を、自らの成長と重ね合はせながら、思ひ入れたつぷりに語ります。幼時、高嶺の花だつた「はとガール」との触れ合ひ。少年時代、名駅構内で写真を撮りまくつた日々。家出した母を名駅中央コンコースの待合室で発見したこと。“ばあちゃん”にせがんで乗せてもらつた「夢の超特急」の思ひ出。名鉄電車内で行つた、自身の結婚披露宴二次会(須田寛氏、宮脇俊三氏、種村直樹氏らも列席。スゴイ!)......
徳田氏の著書だけあつて、鉄分は相当高いですが、専門的な話は少ないため、一般人でも大丈夫。特に地元の方々には興味ある一冊となるのではありますまいか。

ぢやあまた。ご無礼します。



達人に学ぶ鉄道資料整理術
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達人に学ぶ鉄道資料整理術

柳澤美樹子【著】
JTB(マイロネBOOKS)刊
2003(平成15)年1月発行

テツ活動をする人は、何かとモノを蒐集する性癖があります。関連書籍・雑誌であつたり、切符類であつたり、駅弁の紙、駅スタンプ、写真、模型、時刻表......それこそ枚挙に暇がありません。
それらの蒐集方法から、整理・収納・保存など、誰もが頭を悩ませる種々の問題を、各分野を極めた泰斗たちにインタヴューし、我我凡人の参考に供するといふのが本書の目的のやうです。

これら達人たちのコレクションを見てまづ思ふことは、如何なる分野であれ、その道を極めた人のコレクションは、個人的趣味を離れて社会的価値を持つといふことですな。
例へば和久田康雄氏の蔵書「新金沢文庫」。私鉄各社の社史や統計年鑑はもちろん、明治時代の鉄道設計図面集とか、日本全国でもここ以外に存在するのか?と思はせるほどの稀覯書が揃つてゐます。もはや個人研究を超えてゐて、公的な法人が管理するレヴェルでは。
また、駅弁関係の林順信氏。最近の鉄道車両は窓が開きませんので、昔のやうに駅で購買することは少なくなり、デパートの駅弁市なんかの方が売れるさうです。そんな現代だからこそ貴重な掛け紙、お茶の土瓶のコレクションなどは鉄道のみならず日本の風俗史の貴重な史料と申せませう。
余談ですが、昔のお茶は土瓶に入れて販売してゐました。わたくしの世代はすでに、プラスチックの容器に変つてゐまして、何だか変な臭いがしたものです。昔の人が土瓶の思ひ出を、半ば自慢気に語るのを聞くと、口惜しい喃と思ふのです。

また、愛着を感ずる自らのふるさとに限つて史料集めをする方も多いのに感動しました。横浜に限定してあらゆるグッヅを蒐集する「横浜博士」の長谷川弘和氏、広島在住で「中国地方」の鉄道関係の資料を後世に残さんとする長船友則氏......
鉄道といふのは、いはば中央集権の象徴。それだけに、一地方から見た鉄道史は埋もれ、いづれ忘れ去られる運命になりがちであります。趣味の世界とはいへ、かかる活動には頭が下がる思ひでございます。

面白いのは、複数の人が次のやうなことを言ふ。「趣味の世界に拘らず、何かを極めやうとする人は、富士登山をする人に似てゐる。アプローチの方法は色々あるが、結局行きつくところ(頂上)は同じである」と。
わたくしも中途半端にモノを集めてゐますので、何か参考になるかしらんと思考したのですが、彼我のあまりの相違を知つた今では、そんな大それた気分になれませんな。ただ口をあんぐり開けながら読むのみでした。デハこれにて失礼。