源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
駅物語
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駅物語

朱野帰子【著】
講談社(講談社文庫)刊
2015(平成27)年2月発行


タイトルにつられて購買した一冊であります。
主人公の若菜直は新米駅員として、東本州鉄道株式会社(いふまでもなく、JR東がモデル)の東京駅に勤務します。なぜわざわざ駅員を志したのかは、弟と関係があるやうですが、おひおひ明らかになります。
彼女は駅を「奇跡が起こる場所」としてとらへ、以前駅で自分を助けてくれた五名の人物を探すのでありますが、さううまくいきますかどうか。全5章からなつてゐるので、それぞれ一章に一人、といふ勘定ですね。すでに結末が読めるやうな。

上司や同僚はまともな人が少ない。直属の上司は営業助役の松本。過去に不幸な出来事を経験してゐるらしく、それが原因か足をひきずつてゐます。
副駅長の吉住は制服を着用せず、お前ら駅員ふぜいとは人種が違ふんだよ、といふやうな態度がありありの嫌な奴。
直と同期入社の犬塚。通称ワンタン。筋金入りのテツだが、鉄道会社がテツを嫌ふことを過剰に意識してゐるため、それをひた隠す。全く誰とも打ち解けないが、徐々に直とは心を開いていきます。こんな奴をよく採用したもんだ。
直の教育係として担当する藤原。とにかく態度が悪い。上司にも敬語が使へません。その強引な接客態度が悪質な乗客対策に重宝するとして、「必要悪」としてやむを得ず雇用してゐるさうです。そんなことあり得るのかね。現実感がないですが。
犬塚の教育係は由香子。通称ゆかぽん。慣用句やことわざを多用しますが、その使用法がどことなくずれてゐる。

駅員は激務であります。きついシフトだし、乗客はわがままで自分勝手。実際に駅員への暴言暴力は多いと、報道でも明らかにされてゐます。本書でも、普段はクレーム対応を仕事としてゐる男が、酔つぱらつて毎日駅員に嫌がらせをし、暴言を吐くことで鬱憤を晴らす場面がありました。
他にも、犬塚がいきなり殴られたり、人身事故の遺体処理をしたり、非常識な撮り鉄との格闘があつたり、若い女性をストーカーから守つたり......
さて、駅員として日々奮闘し成長する直ですが、果たして奇跡を起こせたのでせうか。多分「ライトノベル」とやらの読者にはウケるのではないかと。わたくしの正直な感想は差し控へませう。
デハデハ。



グローイング・ダウン
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グローイング・ダウン

清水義範【著】
講談社(講談社文庫)刊
1989(平成元)年5月発行


年の初めは清水義範、と決めてゐるので、今年は『グローイング・ダウン』から。
この小説の世界では、いつの頃からか時代が逆流してゐるやうです。例へば今日が1月2日なら、前日は1月3日で翌日は1月1日になる。一日の朝⇒昼⇒夜の流れは変らぬものの、人間の成長も退化となり、社会人は4月の入社式を終へると学生になり、知識もどんどん少なくなつてしまふ。以前大人だつた頃は知つてゐたのに。

主人公の「ぼく」も同様で、時代背景は1964(昭和39)年のやうですが、市川崑監督の映画「東京オリンピック」を観た後に「感動の閉会式」を実際にテレビで鑑賞するといふ塩梅。この「ぼく」もかつては老人で社会人を経て、学生になつて童貞になつたといふ。そしていづれは母親の胎内に入つて一生が終るのでせう。
かつては経年とともに齢を取つた、といふことがもはや「ぼく」には想像できない。こんな会話があります。

「でも、変だね。人間がだんだん大きくなっていくなんて。せっかく子供で遊んでいられるのに、年を取ったら働かなきゃいけなくなっちゃうんだもん。体はだんだん古くなってあっちこっち痛んでくるしさ」
「その通りさ。やっぱり人間はだんだん新しくなる方が幸せだよね」
「兄ちゃんもそう思うよ。これから起こることに不安を持って生きなくていいからね」


この作品が発表されたのが1986(昭和61)年。まさにバブルを迎へんとする、皆が浮かれてゐた時期であります。そんな時代に清水義範氏は、将来を既に憂へてゐたのでした。もう時代を戻つた方が人類は幸せだ。強く否定したいところですが、全く根拠のない反論になりさうで寂しいのであります。

本書にはその他、「黄昏の悪夢」「もれパス係長」「また逢う日まで」など、SF色の濃い八編が収録されてゐます。何でも刺激を求める現代読者には、これらの読むほどにじわじわと迫つてくる哀愁(ペエソス)の味はひは理解出来ぬかも知れません。
本書の解説を書いてゐる人も恐らく同様で、『グローイング・ダウン』の解説の筈なのに「永遠のジャック&ベティ」や「国語入試問題必勝法」の話ばかりしてゐます。
極めつけは、傑作「靄の中の終章」を「霧の中の終章」と間違へて覚えてゐるらしい事。何度も繰り返して出てくるので、誤植ではないでせう。もう少し清水作品に愛情のある人に解説を書いていただきたいと感じた次第であります。

デハこんなところでご無礼します。生意気言つて、すみません。



ふざけるな
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ふざけるな

島田一男【著】
春陽堂書店(春陽文庫)刊
1978(昭和53)年9月発行


ふざけるな。何の事でせうか。問題続きの相撲協会を指すのか。ミサイル発射を繰り返すミニロケットマンの事か。不正が相次ぐ日本企業か。
さうではありません。今年生誕110年の島田一男の作品であります。「ふざけるな」とは念の入つたタイトル。「事件弁護士」シリーズの一冊。

主人公南郷次郎は、殺し専門の刑事弁護士。そんな専門があるのでせうか。とりあへず紹介文を載せます。

 ある真冬の早朝、若い娘からの電話でたたき起こされた事件弁護士南郷次郎は、すぐさま女のマンションにかけつけたが、その電話は実は同姓の犬猫病院にかけられたものと知らされて苦笑を余儀なくされた。が、このとんだ茶番劇の裏に、彼は鋭く事件の臭いをかいだ。
 豪華マンションに住むこの女は、江戸時代から三百年もつづく老舗「金虎人形店」の孫娘で、人形店の資産は十五億円を超えるという。この茶番もその財産相続にからんでのことであるとすれば、犯罪の動機もまた一族の者すべてに、充分にあると考えなければならない。
 この茶番劇を端緒に、事件のたびに被害者に送られる人形絵葉書! 事件のカギを握る十二枚の人形絵葉書とは恐るべき殺意の予告なのか!? ―“事件弁護士”シリーズ長編傑作!


財産相続をめぐるドロドロは嫌なものでありますが、それ以外の要素もからんで、事件は複雑な様相をみせます。南郷次郎は事務所で働く助手の金丸京子や、捜査一課の板津部長刑事(通称「板チョウ」)らと共に謎に迫るのであります。ポンポンと繰り広げられる、ユウモワに満ちた軽妙な会話が良い。スピード感があるので、どんどん読んでしまひます。片端から忘れる程でした。
そして、アッと驚く意外な真犯人......結末はやりきれない展開となりましたが、重苦しさは皆無なので、読後感も軽いのです。流石に娯楽小説の巨匠であります。

しかしながら、南郷次郎のキャラが、「鉄道公安官海堂次郎と被つてゐると感じるのはわたくしだけでせうか......



戦国城砦群
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戦国城砦群

井上靖【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1980(昭和55)年12月発行


生誕110年を迎へた井上靖。この人は現代小説・歴史小説・時代小説と幅広い分野で活躍しましたが、これは戦国時代を舞台にした「時代小説」。時代背景は歴史上の史実をなぞつてゐますが、主要登場人物は皆、架空の存在であります。武田氏の滅亡から、山崎の合戦、本能寺の変を経て秀吉が天下を取るまでのを描いてゐます。

主要人物としては、まづ、武田勝頼軍の敗残兵である藤堂兵太。髭面の中年のおつさんださうです。武田に殉ずる心算でありましたが、成り行きで明智勢に加担するも、それも敗れ、更には野武士集団のカシラとなるのでした。
次いで同じく武田の残党、坂部隼人。彼は兵太よりも若く、ストイックな剣豪であります。ヒロインの千里に惚れてゐますが、その気持ちを素直に表現できない不器用な男でもあります。
そして大手荒之介。こちらは織田側の武士。やはり剣の腕が立つ。隼人と対照的に、千里を我がものにせんと積極的に行動します。千里も彼を想ひ、また野武士の娘・弥々からも惚れられて、本編一番のモテ男であります。
女性陣は、先述の千里と弥々が華を添へます。弥々はとにかく強い男が好みで、荒之介への叶はぬ想ひはいぢらしい。

明確に誰が主人公とは言へず、上記男三人、女二人の群像劇とでも申しますか。舞台は戦国時代ですが、その恋愛模様は舞台を現代に移しても通用しさうな内容であります。作者らしい人物造形。まあ、意地悪く言へば「どこかで見たやうな人間関係」とも申せませう。
例へば『天平の甍』のやうな硬質な文章とはまるで違ふ、明らかな通俗大衆小説の文体であります。それが悪いのではなく、この時代小説にはこの上なく相応しい。まあ、かかる小説を量産したのが、ノーベル文学賞を逃した原因かも知れませんが。
いづれにせよ、井上靖も一部作品を除いて徐々に忘れ去られやうとしてゐる印象です。今のうちに読んでおきませう。
デハデハ。



硝子戸の中
無題

硝子戸の中

夏目漱石【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1952(昭和27)年7月発行
1968(昭和43)年9月改版
2000(平成12)年11月改版
2011(平成23)年11月改版


硝子戸の中(がらすどのうち)とは、漱石が読書したり執筆活動を行ふ書斎のことであります。漱石は次のやうに述べてゐます。

「いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起つて来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離してゐるこの硝子戸の中へ、時々人が入つて来る。それが又私にとつて思ひ掛けない人で、私の思ひ掛けない事を云つたり為たりする。私は興味に充ちた眼をもつてそれ等の人を迎へたり送つたりした事さへある」「私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思ふ」


漱石はこんなものは他人には関係なくつまらないだらうとか、ここで自分が書けばより他人が興味を持つ記事が押し退けられるとか、いささか自虐的に言ひ訳してゐますが、恐らく内心は「俺が書く以上、下らぬ物は書くまい。読者よ、まあ期待してくれ」くらゐの自信はあるのでせう。勝手に忖度してゐますが。
掲載紙は『虞美人草』以降続いてゐる朝日新聞。順番で言ふと、『こころ』と『道草』の間に連載されたことになり、まあ晩年の作品の一つと申せませう。

漱石には「小品」などと呼ばれる一ジャンルがありますが、この『硝子戸の中』は小品と随筆の中間でせうか。「思ひ出す事など」に比べて肩の力が抜けて、洒脱さが増し、仄かなユウモワさへ感じられるのであります。

笑顔の写真を断る話、愛犬ヘクトーの話、相談に来た女に「それなら死なずに生きていらつしやい」と語る話、友人Oと再会した話、自分の書いたものを読んでほしいといふ女性に「正直にならなけば駄目ですよ」と諭す話(漱石はかういふ、見知らぬ人からの依頼になるたけ応へやうとしてゐます。真面目で律儀であります)、播州の岩崎なる困つた人の話(漱石は随分我慢をしてゐます)、若い女の珍妙な相談に乗る話、母の思ひ出話(漱石は実の父母を祖父母として育てられた)、「病気は継続中です」といふフレーズに欧州の戦争を想起する話、太田南畝の書物を25銭で買つたが、安すぎるから返してくれと頼まれる話(漱石は本のみ返して代金は受け取らなかつた)、世の中の人々との交渉について悩み考察する話、学生相手に講演した時の反応についての話(本当に漱石は誠実で真面目な人だなあと思ひます。かかる人だから胃弱になるのか)等等......漱石の筆にかかると、大して変哲のない硝子戸の中に於ける出来事も無限の広がりを見せます。

かと言つて、無理矢理本作に寓意を求める必要もございますまい。野暮といふものです。何より文章そのものを味はふのが一番であります。(多分意図的に)平易な語や言ひ廻しを採用し、当時の新聞読者に対する配慮がなされてゐますので、現代人が読んでも難解な事は全くございません。わたくしのお気に入りの一冊と申せませう。