源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
にわか産婆・漱石
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にわか産婆・漱石

篠田達明【著】
新人物往来社(新人物文庫)刊
2009(平成21)年11月発行


もう随分前の事だから書いてしまふ。
かつて本屋に勤めてゐた頃、篠田達明氏の居住地の最寄り書店で働いた事があります。篠田氏ご本人も拝見したことがあり、「ああ、何だか温厚で穏やかさうな人だな」と思つた記憶があるのです。店頭に無い書籍を注文して頂いた事もあり、その際に「しのだ、たつあきと申します」などと丁寧に名乗り、まるで「どうせ私の事なんか知りはしないでせうね」みたいな空気を発散してゐました。その謙虚な感じに、余程「先生のご著書、読ませて頂きました」などと声をかけやうかと思ひましたが、まあやめときました。

一般に面白い小説を書く人はイヤな奴が多い印象なので、こんな善人ぽい人が書く小説はツマラヌのではないか、と思つてしまひますが、さうではありません。その証明として、本書『にわか産婆・漱石』を読めば十分でせう。
1905(明治38)年12月のこと、漱石の妻鏡子夫人は第四子の誕生を間近に控へてゐました。予定より早まつたやうで、14日の午前五時といふ難しい時間に陣痛が始まります。破水してしまつたやうです。もう二十分もすれば生れる、といふ妻の訴へに驚く漱石。
急遽牛込の産婆を呼びに行かせますが、どう急いでも牛込からは五十分はかかるとのこと。産婆が到着するまでに赤ん坊が出てきてしまつたらどうするのか。漱石が産婆の代りをするしかありません。普段の胃痛も忘れる程、あわてふためく漱石。産婆は間に合ふのか.....?
胎児の視点と、地の小説文が交互に出てきて、その時の状況をユウモラスに語ります。漱石の狼狽ぶりは、普段の横暴な亭主関白との対比が面白い。胎内の子供(つまり四女愛子)は物知りだねえ。『吾輩は胎児である』といふ感じ。

その他に、「大御所の献上品」(最後にピンチに陥つた歯科医の逆襲が面白い)、「本石町長崎屋」(展開が二転三転して目が離せぬ)、「乃木将軍の義手」(お偉方のする事はしよせん自己満足で、犠牲になるのは常に名もなき下ッ端)、「平手打ち鷗外」(鷗外が新聞記者と大立ち回り)の四篇が収録されてをります。最後の「平手打ち鷗外」は初版の文春文庫版には無く、この新人物文庫で初めて収録されましたので、こちらの版がお買得と申せませう。
すべての作品が医療に関係する話で、それを絡めた歴史小説は、医者でもある著者の得意分野であります。

ああ今月もあまり更新が出来なかつた喃。事情があつてあまりPCを触れぬ状況なのです。早くこの状態を脱したい。
デハ今日はこんなところでご無礼します。



斜陽
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斜陽

太宰治【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1950(昭和25)年11月発行
1967(昭和42)年7月改版
2003(平成15)年5月改版


今年は太宰イヤー(没後70年)なのださうです。太宰好きのわたくしも、ここで一発『斜陽』を取り上げます。
『斜陽』は、『人間失格』と並ぶ、太宰の戦後の代表作と言はれてゐます。太宰は戦後、指導者づらをしてゐた所謂「偉い人」たちが、いかにいい加減な存在であつたかを悟り、その絶望感が作品にも影を差してゐるやうな気がします。少なくとも戦中の安定した、明るい作品群とは違ひますね。

主人公は没落した貴族のかず子。彼女の独白体で話が進みます。その母親とともに、東京から伊豆に「都落ち」します。しかしこの母娘は生活力がなく、収入もないのに生活レヴェルは落とせないのです。貴族たる所以か。
そんなところへ、行方知れずだつた弟の直治が帰つてきます。父なき家庭で、本来なら一家の大黒柱となるべき立場ですが、クスリ中毒となつてゐて、家から金を持ち出すは、上原なる無頼作家の元に入り浸るはで、ロクな奴ではない。もうこの時点でこの一家は破滅に向かふことが容易に推察されるのであります。
かず子は、直治を介して知り合つた上原に熱烈な手紙を繰り返し送ります。彼女の言葉で言へば、「戦闘、開始」
上原の子供を産みたいとの願ひを持ち、結果的にそれを実現するのですが......ギロチン、ギロチン、シュルシュシュシュ。

太宰は自身の生家をモデルにしたと公言してゐます。かず子のモデルは太田静子。彼女の日記が下敷きになつてゐます。太宰自身は直治と上原に分割して投影されてをります。名門資産家の息子に生れながら、生家を裏切る行為ばかりして自堕落な生活を続ける直治と、才能を認められながら無頼な生活しか出来ぬ小説家の上原。
直治の最期は、自殺未遂を繰り返しながら結局死ねなかつた自分の理想を描いてゐるのでせうか。人間には死ぬる自由もある筈だ......若い頃、心中を試みながら現実には女だけ死んでしまつた経験がありますからな。

日本版『桜の園』を目指したさうですが、こちらはより生々しい。登場人物は皆、世間的には認められぬ行動をとり、破滅への道をまつしぐらに突き進むのでした。しかし悲劇を描いても暗くならず、読者サアヴィスもふんだんにあります。本作を(といふか、太宰を)嫌ふ人は、弱さを誇示する自己憐憫が我慢ならぬと切り捨てますが、わたくしには全く気にならぬのであります。それは読者に何の見返りも期待せぬ潔さがあるから。
発売当時、大ベストセラアになつたのも頷ける完成度と申せませう。志賀直哉や三島由紀夫が認めなくても、わたくしにはいとほしい一作であります。



駅物語
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駅物語

朱野帰子【著】
講談社(講談社文庫)刊
2015(平成27)年2月発行


タイトルにつられて購買した一冊であります。
主人公の若菜直は新米駅員として、東本州鉄道株式会社(いふまでもなく、JR東がモデル)の東京駅に勤務します。なぜわざわざ駅員を志したのかは、弟と関係があるやうですが、おひおひ明らかになります。
彼女は駅を「奇跡が起こる場所」としてとらへ、以前駅で自分を助けてくれた五名の人物を探すのでありますが、さううまくいきますかどうか。全5章からなつてゐるので、それぞれ一章に一人、といふ勘定ですね。すでに結末が読めるやうな。

上司や同僚はまともな人が少ない。直属の上司は営業助役の松本。過去に不幸な出来事を経験してゐるらしく、それが原因か足をひきずつてゐます。
副駅長の吉住は制服を着用せず、お前ら駅員ふぜいとは人種が違ふんだよ、といふやうな態度がありありの嫌な奴。
直と同期入社の犬塚。通称ワンタン。筋金入りのテツだが、鉄道会社がテツを嫌ふことを過剰に意識してゐるため、それをひた隠す。全く誰とも打ち解けないが、徐々に直とは心を開いていきます。こんな奴をよく採用したもんだ。
直の教育係として担当する藤原。とにかく態度が悪い。上司にも敬語が使へません。その強引な接客態度が悪質な乗客対策に重宝するとして、「必要悪」としてやむを得ず雇用してゐるさうです。そんなことあり得るのかね。現実感がないですが。
犬塚の教育係は由香子。通称ゆかぽん。慣用句やことわざを多用しますが、その使用法がどことなくずれてゐる。

駅員は激務であります。きついシフトだし、乗客はわがままで自分勝手。実際に駅員への暴言暴力は多いと、報道でも明らかにされてゐます。本書でも、普段はクレーム対応を仕事としてゐる男が、酔つぱらつて毎日駅員に嫌がらせをし、暴言を吐くことで鬱憤を晴らす場面がありました。
他にも、犬塚がいきなり殴られたり、人身事故の遺体処理をしたり、非常識な撮り鉄との格闘があつたり、若い女性をストーカーから守つたり......
さて、駅員として日々奮闘し成長する直ですが、果たして奇跡を起こせたのでせうか。多分「ライトノベル」とやらの読者にはウケるのではないかと。わたくしの正直な感想は差し控へませう。
デハデハ。



グローイング・ダウン
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グローイング・ダウン

清水義範【著】
講談社(講談社文庫)刊
1989(平成元)年5月発行


年の初めは清水義範、と決めてゐるので、今年は『グローイング・ダウン』から。
この小説の世界では、いつの頃からか時代が逆流してゐるやうです。例へば今日が1月2日なら、前日は1月3日で翌日は1月1日になる。一日の朝⇒昼⇒夜の流れは変らぬものの、人間の成長も退化となり、社会人は4月の入社式を終へると学生になり、知識もどんどん少なくなつてしまふ。以前大人だつた頃は知つてゐたのに。

主人公の「ぼく」も同様で、時代背景は1964(昭和39)年のやうですが、市川崑監督の映画「東京オリンピック」を観た後に「感動の閉会式」を実際にテレビで鑑賞するといふ塩梅。この「ぼく」もかつては老人で社会人を経て、学生になつて童貞になつたといふ。そしていづれは母親の胎内に入つて一生が終るのでせう。
かつては経年とともに齢を取つた、といふことがもはや「ぼく」には想像できない。こんな会話があります。

「でも、変だね。人間がだんだん大きくなっていくなんて。せっかく子供で遊んでいられるのに、年を取ったら働かなきゃいけなくなっちゃうんだもん。体はだんだん古くなってあっちこっち痛んでくるしさ」
「その通りさ。やっぱり人間はだんだん新しくなる方が幸せだよね」
「兄ちゃんもそう思うよ。これから起こることに不安を持って生きなくていいからね」


この作品が発表されたのが1986(昭和61)年。まさにバブルを迎へんとする、皆が浮かれてゐた時期であります。そんな時代に清水義範氏は、将来を既に憂へてゐたのでした。もう時代を戻つた方が人類は幸せだ。強く否定したいところですが、全く根拠のない反論になりさうで寂しいのであります。

本書にはその他、「黄昏の悪夢」「もれパス係長」「また逢う日まで」など、SF色の濃い八編が収録されてゐます。何でも刺激を求める現代読者には、これらの読むほどにじわじわと迫つてくる哀愁(ペエソス)の味はひは理解出来ぬかも知れません。
本書の解説を書いてゐる人も恐らく同様で、『グローイング・ダウン』の解説の筈なのに「永遠のジャック&ベティ」や「国語入試問題必勝法」の話ばかりしてゐます。
極めつけは、傑作「靄の中の終章」を「霧の中の終章」と間違へて覚えてゐるらしい事。何度も繰り返して出てくるので、誤植ではないでせう。もう少し清水作品に愛情のある人に解説を書いていただきたいと感じた次第であります。

デハこんなところでご無礼します。生意気言つて、すみません。



ふざけるな
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ふざけるな

島田一男【著】
春陽堂書店(春陽文庫)刊
1978(昭和53)年9月発行


ふざけるな。何の事でせうか。問題続きの相撲協会を指すのか。ミサイル発射を繰り返すミニロケットマンの事か。不正が相次ぐ日本企業か。
さうではありません。今年生誕110年の島田一男の作品であります。「ふざけるな」とは念の入つたタイトル。「事件弁護士」シリーズの一冊。

主人公南郷次郎は、殺し専門の刑事弁護士。そんな専門があるのでせうか。とりあへず紹介文を載せます。

 ある真冬の早朝、若い娘からの電話でたたき起こされた事件弁護士南郷次郎は、すぐさま女のマンションにかけつけたが、その電話は実は同姓の犬猫病院にかけられたものと知らされて苦笑を余儀なくされた。が、このとんだ茶番劇の裏に、彼は鋭く事件の臭いをかいだ。
 豪華マンションに住むこの女は、江戸時代から三百年もつづく老舗「金虎人形店」の孫娘で、人形店の資産は十五億円を超えるという。この茶番もその財産相続にからんでのことであるとすれば、犯罪の動機もまた一族の者すべてに、充分にあると考えなければならない。
 この茶番劇を端緒に、事件のたびに被害者に送られる人形絵葉書! 事件のカギを握る十二枚の人形絵葉書とは恐るべき殺意の予告なのか!? ―“事件弁護士”シリーズ長編傑作!


財産相続をめぐるドロドロは嫌なものでありますが、それ以外の要素もからんで、事件は複雑な様相をみせます。南郷次郎は事務所で働く助手の金丸京子や、捜査一課の板津部長刑事(通称「板チョウ」)らと共に謎に迫るのであります。ポンポンと繰り広げられる、ユウモワに満ちた軽妙な会話が良い。スピード感があるので、どんどん読んでしまひます。片端から忘れる程でした。
そして、アッと驚く意外な真犯人......結末はやりきれない展開となりましたが、重苦しさは皆無なので、読後感も軽いのです。流石に娯楽小説の巨匠であります。

しかしながら、南郷次郎のキャラが、「鉄道公安官海堂次郎と被つてゐると感じるのはわたくしだけでせうか......