源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
六番目の小夜子
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六番目の小夜子

恩田陸【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2001(平成13)年1月発行

恩田陸さんが直木賞を受賞したといふ事で、デビユ作の『六番目の小夜子』登場であります。「幻の」とか「伝説の」などといふ冠が付く本作。何故だらうと思つてゐたら、著者自身が「あとがき」で説明してゐました。なある。
直木賞は、かつての新人発掘の意義はなくなり、今やすつかり中堅作家(時には大ヴェテランも)が受賞する文学賞になつてしまひました。恩田陸さんもデビユしてから、25年くらゐ経つのではないでせうか。まあ別段どうでもいいけど。

小説の舞台はある地方の高等学校。結構な進学校とお見受けしました。この学校では「サヨコ伝説」なる言ひ伝へがあり、三年に一度「サヨコ」が選出されます。先代「サヨコ」の卒業式に、次の「サヨコ」にメッセージが届けられるのでした。その正体は、代々の「サヨコ」しか知りません。で、「サヨコ」のやることは、一年にたつたひとつだけ。
そしてこの物語は、「六番目のサヨコ」の年の始業式に始まるのであります......うん、何だか面白さうぢやないかと期待させます。

物語の視点は固定されず、舞台となるクラスにゐる関根秋・花宮雅子・唐沢由紀夫らによる群像劇と申せませうか。そもそも「プロローグ」を語る「私」とは結局誰の事か、最後まで分からなかつた喃。そのクラスに、「津村沙世子」なる転校生がやつてきます。いつたい彼女は「サヨコ伝説」と関係が有るのか? 巻き込まれる形で「サヨコ伝説」に関はる事になつた関根秋は、友人設楽正浩とともに謎に迫るのですが......

お膳立ては中中凝つてゐます。「サヨコ伝説」の謎に迫る為に、設楽が計画した学園祭の「芝居」も興味深い展開であります。ここまで広がつた風呂敷をどのやうに収めるのか、気になるところです。読後の印象は悪くないし、まあ良かつたよね、といふ感じなのですが、疑問が疑問のまま終つてしまつた点が多いですな。
佐野美香子は付け火をした後どうなつたのか、津村沙世子は何故それを唆したのか、黒川先生の関与度はどれだけのものだつたのか、他にも色色と、何だかはつきりしないのであります。単にわたくしが重要な伏線とかを読み落としたのかなあ。
ま、いいや。デハ今日はご無礼いたします。



それゆけ結婚
無題

それゆけ結婚

森村桂【著】
角川書店(角川文庫)刊
1976(昭和51)年10月発行

先達て、女優でタレントの村井美樹さん(37)が遂に結婚報告をいたしました。ソレ誰?と訝しがる人がゐるかも知れませんが、ここではスルーします。それで熱心なファンは祝福をしつつも意気消沈。またもや「美樹ロス」などと称する人も続出。別段彼女は引退する訳ではないのに。
面白いのは、村井さんのブログ読者数が、結婚報告後にぐわつと減つてゐることです。わざわざ読者登録を取り消すとは、随分屈折してゐる喃と苦笑するのでした。

といふ訳で、実に強引ながら『それゆけ結婚』。当時結婚してまだ数年の森村桂が、読者に向けて恋愛・結婚のアドヴァイスをいたします。昭和40年代くらゐでせうか。「女の幸せは結婚」などと言はれてゐた時代であります。
24歳は売れ残り」「家付きカー付きババ抜き」「一流大卒、一流会社勤務、月給4万円以上、175cm以上の次男」「花嫁修業」「わがダンナさま」......まだまだ女性は男性に従属して生きるのが当り前の頃。現代の女性が読めば激怒するかも知れません。あるいは「これは何処の国の話ですか」などと真顔で聞いたりして。

本書の時代背景としては、恋愛結婚がお見合い結婚を逆転した頃でせうか。とは言つても、本書にも度度「お節介」が登場しますが、出会ひの機会がない人でも男女問はずどこからか相手が見つかつたものであります。今から思へばまだまだ恵まれた時代。例へば1965(昭和40)年における生涯未婚率は男性1.50%、女性2.53%であつたのに対し、これが2010(平成22)年になると男性20.14%、女性10.61%まで膨れ上がつてゐます(国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集(2014)」)。
ただ、『それゆけ結婚』の時代はやはり男尊女卑思想が蔓延り、肝心の女性自身がそれに甘んじてゐる様子が見てとれます。森村桂さん本人まで、暴君でもダンナさまに甘えてゐた方が楽だわ、みたいな雰囲気を醸し出してゐます。何てこつたい。

森村さんのアドヴァイスの中には、現在にも通用する部分は少なからずあるとは存じますが、それ以上に違和感を感じる部分が多い。現代女性が読むならば、本書は当時の婚活事情を知る資料として興味深いのではないでせうか。



和解
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和解

志賀直哉【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1949(昭和24)年12月発行
1969(昭和44)7月改版
2011(平成23)年11月改版

順吉くんは父親との関係がぎくしやくしてゐます。はつきり言へば不仲であります。かつて足尾銅山の鉱毒事件を調べやうと行動を起こした順吉くん。しかし父親は、今ふうに言へば財界人。足尾銅山の経営者とも浅からぬ関係があり、そんな問題をほじくる息子を立場上許すことが出来ませんでした。まあそれが元で父子の間に溝が出来たやうです。尤もこれは順吉くん側の言ひ分ですが。

そんな状態ですので、順吉くんは父のゐる麻布の実家から出て、我孫子に妻と赤子とともに生活してゐます。順吉くんは祖母に顔を見せる為に、父のゐぬ間にこつそりと麻布の家に行つたりする。この行為が、更に父の態度を硬化させてゐます。周囲は、二人の反目を悲しく思ひ、何とか和解をして欲しいと願つてゐます。しかし順吉くんは、その解決のために、赤子を利用せんと考へる周囲の空気に反駁するのです。その心持は分かりますね。
しかし、この赤子の運命は......

表題が『和解』なので、読者はきつと、最後には和解するのだらうなと予想するでせう。その通りなのですが、和解が成る瞬間といふのは、案外呆気ない。読者は「さあもうすぐ感動の和解シーンだな。もうこちらは泣く準備が出来てゐるぜ、カモーン」と待ち構へてゐるでせうが......あ、あんまり余計な事は言はぬやうにしませう。

志賀直哉氏の文章と言へば、過剰な装飾がなく贅肉が削ぎ落されて、含蓄を含んだストイックなものといふイメエヂでせうか。谷崎読本でも褒めてゐましたね。
本作でもスィンプルな文章が並んでゐます。お陰で文末が「~た」「~た」「~た」の連続で、単調な印象を受けます。得意の「不快だつた」も健在。食べ物に例へるなら、「特に美味しいものではないが、一度食べると病みつきになる」類ひのものでせうか。何しろ、「小説の神様」ですから、神様がツマラヌ物を書く筈がない......と書いて、我ながら毒が含まれてゐるなと反省。

ところで、本作でも出てきますが、赤子をあやす時に「おお誰が誰が」などと申します。わたくしの周囲でも、年配女性が昔よく発してゐました。どういふ意味なのでせうか。誰がお前を泣かせたといふ意味ですかね。「おお誰が誰が」



主な登場人物
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主な登場人物

清水義範【著】
角川書店(角川文庫)刊
1994(平成6)年5月発行

年末より体調がすぐれず、仕事はするものの家では寝ている事が多い昨今。しかしいつまでも愚図愚図してゐても詮無いので、ここらで源氏川苦心の快楽書肆を更新せんとするものです。

新年恒例の清水義範作品。今回は『主な登場人物』。少し変つたタイトル。もつともこの人の著書は変つた書名だらけですが。
海外の翻訳小説、就中ミステリイには、カヴァーの折り返し部分に「主な登場人物」なる一覧が付されてゐる事が多い。日本人にとつて、片仮名の名前は覚えにくいので、少し前に出てきた登場人物が再度出てくると、ああこの人誰だつけ、なんて困ることがあります。初出場面を一々探すのも大変です。
そこで、冒頭に「主な登場人物」として紹介しておくと、読者が読み進む際の便に貢献するといふ訳であります。わたくしは、この表がない小説で登場人物が多いと、自分でメモ代わりに「主な登場人物」を作成しながら読んでゐるのです。
そこで作者は、チャンドラーの有名な小説『さらば愛しき女よ』の「主な登場人物」の紹介欄から想像して、新たな物語を作らうといふ、まことに馬鹿々々しい試みをするのでした。無論、そこから紡ぎ出される粗筋は、原作とは似ても似つかぬ荒唐無稽なものであります。
アホらしい試みですが、小説のネタに困つた時にはいいヒントになるかも?

その他14の短篇が同時収録されてゐます。著者得意の、何気ない日常を切り取つたパスティーシュ作品ですが、どうも本書は押しなべて密度の薄い作品が多いやうな気がする。気の所為でせうが、この作家は版元別に完成度の高さが違ふと感じます。即ち本書を含む角川系はやや空回りしてゐるのに対して、一方で講談社系は傑作が多いとか。ま、TV通販ぢやないけど、あくまで個人の感想ですがね。
その中でも本書では「ビデオ録画入門」「只今留守にしております」「ショート・ショート 拝啓」なんかがわたくしの好みで、にやにやしながら読むのに最適であります。

まあ今回はこんなところで。デハデハ、2017年もよろしくお願いいたします。



豪華列車はケープタウン行
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豪華列車はケープタウン行

宮脇俊三【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
2001(平成13)年6月発行

おそらく宮脇氏最後の海外鉄道紀行と思はれます。国内を含めても、この後は廃線跡紀行とか、歴史紀行を残すのみなので、純粋な鉄道紀行としては最晩年の作品でせう。さう思ふと、じつくりと惜しむやうに読みたいものです。

収められたのは「台湾一周、全線開通」「ヴェトナム縦断列車、二泊三日」「豪華列車はケープタウン行」「ブラジル・ツアー日誌」「マレー半島のE&O急行」の五編。このうち「ブラジル」のみは宮脇氏自弁で参加のツアーであります。世界各地を訪れたが、ブラジルのみ未訪であるのが気にかかり、丁度いいツアー企画があつたので、夫妻で参加したといふことです。ゆゑに、この一編のみは観光ツアーで、鉄道紀行ではありません。

あとがきにもありますが、これら訪問国は途上国が中心で治安が悪い国が多い。宮脇氏も年齢を重ね、健康上の理由もあつて一人旅の自信がなかつたさうです。それで文藝春秋の編集者に同行してもらひ、夜は安全な宿に泊まる。危険が少ない分、旅に起伏が乏しくなる。そこを筆力で面白い読み物にするのが我らが宮脇氏であります。

以前わたくしは、宮脇氏の著作は古いものほど面白いと述べたことがありますが、晩年のそれがツマラヌといふ訳ではありません。
確かに諧謔調は薄くなり、重複表現が目立つなどはあります。宮脇氏が最重要視してゐた「推敲」に手が回らなかつたのか。しかしそれは最初期の奇跡的な傑作群と比較すれば、の話で、並の紀行作家の作品以上の水準であると申せませう。

ブラジルツアーで悪性の菌が入り、帰国後入院を余儀なくされた宮脇氏。これが原因で一気に体力を落とし、その後の執筆活動に大きな影響を与へました。それを考へると、本書を読みながら悲しくもあります。
デハ今日はこんなところで。