源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
国鉄再建はこうなる
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国鉄再建はこうなる

加藤寛【著】
ダイヤモンド社刊
1985(昭和60)年10月発行

1987(昭和62)年4月1日、日本国有鉄道はその歴史を終へ、JRグループへと移行しました。今年は丁度30周年といふことになります。
30年を機に、当時の雰囲気を伝へる書物をいくつか読んでをります。この『国鉄再建はこうなる』もその一つ。著者は、第二次臨調(土光臨調)の主要メムバアだつた加藤寛氏。カトカンですな。
従つて当然、国鉄の分割民営化については推進すべしとの立場であります。

序章「国鉄はなぜ改革しなくてはならないか」と終章「新生国鉄が未来を拓く」が概論にあたり、真ん中の第一章から第三章はQ&A形式で、想定される疑問や質問に答へてゐます。
膨れ上がる国鉄の赤字が大問題になつてゐました。公共性を盾に、赤字線を造り続け、毎年二万人を超える大量採用を止めず、安全の為と称して人員整理も出来ず、どうせ親方日の丸さ、何とかなるよとやつてきたが、結局何ともならず崩壊したのであります。

加藤氏が語る分割民営化の姿は、既に完成されたものに近いやうです。分社化された各会社の概要や、その株式の保有方式、三島会社の扱ひ、余剰人員の振り分けなど、ソフトな語り口で素人に分かりやすく解説してくれます。
まあ、もう決まつた事ですから、少々気になる事があつても目を瞑りませう、てな感じも少ししますが。
例へば組合問題はほとんど語られません。そもそも分割民営化は国労つぶしだと言はれてゐました。ここでは余剰人員9万3000人のうち、最終的に辞めてもらふ人は4万1000人としてゐます。この人たちは、三年のうちに再就職先を決めていただくと。
「単なる首切りではないのです」と著者は言ひますが、のちの「人材活用センター」の実態を見れば、単なる首切り以上に残酷な事が行われてゐたのですねえ。無論この時点で著者はそれを想定してはゐなかつたでせうが。

30年といへば、ある歴史的事件に対して、一定の評価を下せる期間だと申せませう。本書ではその立場上、バラ色の未来を描かざるを得ない面もありますが、現代の我我が分割民営化が成功であつたか否かの判断を下せる材料を示してゐるのではないでせうか。


一人ならじ
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一人ならじ

山本周五郎【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1980(昭和55)年2月発行

今年は、山本周五郎の没後50年に当ります。
この人の作品は映像化されたものが多いのですが、そのどれもがわたくしの好みではないのです。それで何となく原典からも遠ざかり勝ちになりますが、実際に作品を読むと素晴らしいのであります。映画やドラマになればなるだけ、却つて新たな読者が減るやうな気がするのはわたくしだけでせうか。

有名な作品はたくさんあるけれど、ここでは何となく『一人ならじ』。いちにんならじと読みます。
全14篇の短篇小説が収録されてをります。発表時期は昭和15~32年にわたりますが、そのほとんどは戦前・戦中に集中してゐます。
その内容は、封建的な武士世界の厳しい社会を背景に、己の信念に生きる人たちを描いてゐます。中中良い。

まづ「三十二刻」の宇女。嫁ぎ先の舅から冷たい仕打ちを受けながら、戦において非凡な対応を見せます。ちよつと出来過ぎ。
「殉死」における八島主馬と福尾庄兵衛。殉死を禁じられた中、主君の死に際して二人は対照的な行動をとります。わたくしは八島の現実的な選択を支持したい。
「夏草戦記」では、立番を離れたらいかなる理由でも死罪、との掟の中、三瀬新九郎は敵方に情報を流す裏切者を討つ為に持ち場を離れます。結果多くの味方の生命を救ふのですが(本来なら殊勲者)、それを語る事無く死罪を受け入れるのです。
「薯粥」は我が隣市の岡崎が舞台。十時隼人なる剣豪が登場しますが、少し理想化し過ぎかも。
「石ころ」の多田新蔵に、妻の松尾は結婚当初失望してゐました。しかし新蔵には隠された真の姿があつた。
「兵法者」における水戸光圀は、後年自ら語るやうに残酷だと思ひますよ。
「一人ならじ」の栃木大介は、犠牲的精神からいくさの最中に片足を失ひます。しかし周囲からは大して評価されませんでした。なぜか......? さすがに、表題にもなるくらゐの作品であります。派手ではないが読後にじわじわと味はひが広がります。
「柘榴」における真沙は、新婚時代、その若さゆゑに夫の本質を見抜けなかつたと反省してゐますが、柘榴を新妻に例へる夫はやはり気持ち悪い。
「青嵐」の登女は、夫に隠し子がゐると未知の女から告げられ、その疑惑を夫に問ふこともできずに、子供の世話をみます。いささか現実離れした対応ですが、その結果、最終的に夫婦の結束は強まることになりました。
「茶摘は八十八夜から始まる」も岡崎もの。領主の不行状を改める為、水野平三郎は相伴役を申し出ます。実は水野自身も放蕩生活から逃れられず、自分を戒めるつもりで願ひ出たのでした。その結果、どうなつたのか......?
「花の位置」のみ時代が違ひ、太平洋戦争末期の東京が舞台。発表されたのも正に昭和20年3月。この時代にも目が曇る事無く、かくも冷静に庶民の戦争に対する思ひを活写してゐます。

本書は必ずしも作者の代表作とか有名な作品といふ訳ではありませんが、いづれも水準以上の出来栄と存じます。やはりヤマシュウ、只者ではないな。
出来過ぎのストーリィに、人によつては修身の教科書みたいだと鼻白むかも知れませんけどね。ぢやあまた。


上越新幹線物語1979
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上越新幹線物語1979 中山トンネル スピードダウンの謎

北川修三【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2010(平成22)年6月発行

上越新幹線は東北新幹線に遅れること五か月、1982(昭和57)年11月に開業しました。本来なら同時開業の予定だつたのですが、種々の理由からそれは叶はなかつたのです。
この両新幹線は、常に「東北・上越」の順番に呼ばれ、何かと上越は東北の陰に隠れて不遇な扱ひを受けてきたと存じます。せめて開業は同時にしたかつたでせう。それを妨げた「種々の理由」のひとつが、本書で語られる「中山トンネル」であります。

本書『上越新幹線物語1979』の著者・北川修三氏は、鉄建公団の技術者として中山トンネルの工事に大いに関はつた人。中山トンネルとは、高崎駅と上毛高原駅の間にあり、小野子山と子持山の間をすり抜けるやうに掘られたトンネルであります。総延長は14,830メートルで、一万メートル級のトンネルが珍しくない現在、特段長い部類ではありません(まあ長いけど)。しかしその名を知らしめたのは、その長さではなく、史上稀に見る難工事ぶりで、二度にわたる大水没、それに伴ふルート変更などで、結局工期が伸びてしまつたのでした。
しかも単なるルート変更ではなく、二度目の変更はやむなく規定を超える半径曲線が生じてしまつた。それゆゑ、本来時速240キロで走り抜ける筈のトンネル内を、時速160キロに減速しなければならぬ箇所が発生したのであります。トンネル屋としては、真に悔しいことでせう。しかし本書を読めば、「その程度の変更でよくぞ開通したな」と感嘆するところです。

著者によると、上越新幹線の基本計画が決定したのが1971(昭和46)年の1月、建設開始は同年10月だと言ひます。素人目には、そんなに短い準備期間で大丈夫かと思ふところですが、実際短すぎたやうです。地質調査など十分な時間が取れず、結局工事の工程に禍根を残す事になつたと。東海道新幹線がわづか五年の建設期間で開業したのが、却つて後続の新幹線計画に悪影響を与へたのでせうか。

著者は自らの記憶と経験から本書をまとめました。当時の関係者などに特に取材などしなかつたさうです。本来なら「手抜きぢやないのか」とでも言はれさうなところですが、著者はノンフィクションライターではなく、当事者そのものであります。本来なら専門のライターが取材をする対象ご本人が執筆するのだから、それでいいのでせう。お陰で臨場感あふれる一冊となりました。水没しさうなエレベーターから危機一髪脱出する話などは、まるで映画みたいです。
また、地元の人たちとの折衝は重要な仕事でした。著者は自らは加害者であるといふ立場を崩さず対応したため、地元と険悪になることなく(小さなトラブルは色々あつたやうですが)、良好な関係を築いたといふことです。

本書が世に出なければ、恐らく埋もれたままの事実が多くあつたことでせう。労作でありますが、表題(書名)の付け方に問題があるのでは。本書は徹頭徹尾中山トンネルの工事に終始してゐます。しかも北川修三氏個人の視点から述べられてゐますので、上越新幹線の歴史を客観的に俯瞰した内容を期待して手にした人は、肩透かしを喰らふのでは。そこだけが心配と申せませう。
デハデハ。また逢ふ日まで。



アドルフ
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アドルフ

バンジャマン・コンスタン【著】
新庄嘉章【訳】
新潮社(新潮文庫)刊
1954(昭和29)年6月発行
1967(昭和42)年3月改版
2004(平成16)年6月改版

主人公はタイトルにもある「アドルフ」。このアドルフの一人称語りで物語が進みます。こいつは恵まれた境遇で将来も前途洋洋な若者でありながら、女性に対してはかなり不道徳な、歪んだ考へを有してゐるやうです。これは父親の影響があるらしい。父は「結婚を問題にしない限りは、どんな女でもものにし、次にこれを棄てても構わない」(本文より)などといふ思想の持主だと「私」は語つてゐます。

しかし悲しいかな対象となる女性が見つからない。そんな時、P***伯爵が囲つてゐるエレノールなる女性と巡りあひます。彼女はアドルフよりも十歳も年長で伯爵との間に子供も儲けてゐるのですが、「胸は恋を欲し、虚栄心は成功を要求していたときに、突然目の前に現われたエレノールを見て、この人ならばと思った」(本文より)などと白状してゐます。
アドルフのアプローチに対して、憎からず思ひながらも慎重な姿勢を崩さぬエレノールでしたが、最後にはアドルフの想ひを受け入れます。

無論周囲から祝福されるやうなカップルではありません。その為、二人は多くのものを犠牲にしました。特にエレノールは、世話になつたP***伯爵を裏切り、子供を捨て、慣れ親しんだ土地を去るのです。あゝそれなのに、全てを失つたエレノールを、アドルフは次第に重荷に感じるやうになります。そんな彼の心の変化を読み取つたエレノールは......?

本作は近代心理小説の魁と呼ばれる、19世紀おフランス文学の一作。いやあ面白い。歴史的作品とか、記念碑的作品などと呼ばれるものは、その歴史的意義のみで語られ、実際は退屈で後世の審判には堪へられず、ひつそりと古典の棚に収まる作品が多い。
しかしながら『アドルフ』は現在の読者にも十分アピールします。恐らく多数の男が、アドルフと同じ思ひを、少ながらずしてゐるからではないでせうか。少なくともわたくしの性格はアドルフに似てゐます。ちよつとだけね。
エレノールを重荷に感じながら、彼女を傷つけることを恐れるあまり、身動きが取れなくなるアドルフの心の動きは、苦しい程理解できるのであります。しかしその態度が、結局エレノールを苦しめてゐるのですね。それもアドルフは承知してゐるから、一層蟻地獄の穴に嵌つて行くのでした。

ところで、アドルフは作者コンスタン自身がモデルであります。実際コンスタンは女性にはルーズだと言はれ、有名なスタール夫人以外にも多くの浮名を流したさうです。ゆゑに名前はコンスタン(constant)だが、名は体を表さず、実はアンコンスタン(inconstant=浮気者の意がある)だと綽名されたとか。(三浦一郎『世界史こぼれ話』より)
いくら内面に苦悩を抱へてゐても、世間の目は単なる女たらしなのでした。まあ、そんなところでせうね。



古代史紀行
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古代史紀行

宮脇俊三【著】
講談社(講談社文庫)刊
1994(平成6)年9月発行

宮脇俊三氏の最晩年のライフワーク、「日本通史の旅」であります。
もう鉄道紀行は日本全国色々な切り口から書き尽くし、海外もアジア・北南米・欧州と目ぼしいところは乗りまくつた。次いで「廃線紀行」を一つの主要ジャンルとして確立し、さらに宮脇氏の得意分野「歴史」をからめた紀行文が誕生した訳です。
宮脇氏はかつて『徳川家康歴史紀行5000キロ』なる著作を世に問ふた事があり、その際に「歴史紀行」の面白さに目覚めたのではないかと愚考してゐます。

従来の鉄道紀行とは違ひ、あくまでも歴史の流れに沿ふので、同じ土地を時代別に何度も訪れたり、かつては乗り鉄一辺倒だつたのが、名所旧跡を中心に回る旅になるのでした。歴史遺構が鉄道沿線にあるとは限らず、否むしろ駅から遠く離れた場所に点在することが珍しくないのです。
従つて移動手段には鉄道に拘らず、バスやタクシー、徒歩など様様であります。特にタクシー利用率は高く、長距離でも躊躇ふことなく乗りまくつてゐます。当つた運転手はさぞほくほくでせう。

文献に現れる最初の地として、まづ対馬から旅は始まります。むろん出雲や北九州など古代史ゆかりの場所も訪れますが、何と言つても畿内が中心となります。さらに百済国を訪ねて韓国へ、遣唐使を偲んで上海へ、海外へも出かけます。
著者も述べるやうに、古代史は史実と伝説がない交ぜになり、想像力を掻き立てられる余地が多く、素人でも議論に加はりやすい。事実が分かつてゐないのだから、言葉は悪いですが好き勝手な想像もできるのです。

本来ならサクッと終る筈だつた「日本通史の旅」ですが、予定外に長期連載となり、とりあへず奈良時代の終焉までを『古代史紀行』として刊行したのであります。読者としても、長く宮脇氏の文章を読めるのは望むところ。個人的には、せめて明治維新あたりまで続けて欲しかつたのですが......