源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
グローイング・ダウン
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グローイング・ダウン

清水義範【著】
講談社(講談社文庫)刊
1989(平成元)年5月発行


年の初めは清水義範、と決めてゐるので、今年は『グローイング・ダウン』から。
この小説の世界では、いつの頃からか時代が逆流してゐるやうです。例へば今日が1月2日なら、前日は1月3日で翌日は1月1日になる。一日の朝⇒昼⇒夜の流れは変らぬものの、人間の成長も退化となり、社会人は4月の入社式を終へると学生になり、知識もどんどん少なくなつてしまふ。以前大人だつた頃は知つてゐたのに。

主人公の「ぼく」も同様で、時代背景は1964(昭和39)年のやうですが、市川崑監督の映画「東京オリンピック」を観た後に「感動の閉会式」を実際にテレビで鑑賞するといふ塩梅。この「ぼく」もかつては老人で社会人を経て、学生になつて童貞になつたといふ。そしていづれは母親の胎内に入つて一生が終るのでせう。
かつては経年とともに齢を取つた、といふことがもはや「ぼく」には想像できない。こんな会話があります。

「でも、変だね。人間がだんだん大きくなっていくなんて。せっかく子供で遊んでいられるのに、年を取ったら働かなきゃいけなくなっちゃうんだもん。体はだんだん古くなってあっちこっち痛んでくるしさ」
「その通りさ。やっぱり人間はだんだん新しくなる方が幸せだよね」
「兄ちゃんもそう思うよ。これから起こることに不安を持って生きなくていいからね」


この作品が発表されたのが1986(昭和61)年。まさにバブルを迎へんとする、皆が浮かれてゐた時期であります。そんな時代に清水義範氏は、将来を既に憂へてゐたのでした。もう時代を戻つた方が人類は幸せだ。強く否定したいところですが、全く根拠のない反論になりさうで寂しいのであります。

本書にはその他、「黄昏の悪夢」「もれパス係長」「また逢う日まで」など、SF色の濃い八編が収録されてゐます。何でも刺激を求める現代読者には、これらの読むほどにじわじわと迫つてくる哀愁(ペエソス)の味はひは理解出来ぬかも知れません。
本書の解説を書いてゐる人も恐らく同様で、『グローイング・ダウン』の解説の筈なのに「永遠のジャック&ベティ」や「国語入試問題必勝法」の話ばかりしてゐます。
極めつけは、傑作「靄の中の終章」を「霧の中の終章」と間違へて覚えてゐるらしい事。何度も繰り返して出てくるので、誤植ではないでせう。もう少し清水作品に愛情のある人に解説を書いていただきたいと感じた次第であります。

デハこんなところでご無礼します。生意気言つて、すみません。



本はどう読むか
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本はどう読むか

清水幾太郎【著】
講談社(講談社現代新書)刊
1972(昭和47)年11月発行


本はどう読むか。余計なお世話だと思ひますか。
本の読み方なんて他人から教はることなんかないぜ、俺の好きなやうに読む、そんな方々から反発を喰らひさうですが、心配要りません。本書は読書指南といふよりも、今年で生誕110年を迎へた清水幾太郎氏が「わたくしはこれまでにどのやうに本と付き合つてきたか」を語る愉快な一冊であります。

デハ、以下各章を見てみませう。
〈1〉筆者の読書体験は「立川文庫」から始まるといひます。講談の世界に浸り、次から次へと夢中になつて読破したと。それが、ある時期からつまらなくなつた。パターンが全部読めてしまひ、結局はどれもこれも同じではないかと気づいたからです。これは、かつて夢中になつた身としては寂しい事ですが、これが「成長」といふものなのでせう。

〈2〉書物には、実用書・娯楽書・教養書の三種類があると著者は述べます。無論これは図書館的分類とは違ひ、同じ本でも読者によつて実用書だつたり教養書だつたりします。著者の定義では、実用書=生活が強制する本、娯楽書=生活から連れ出す本、教養書=生活を高める本で、まあ教養書を自ら読む人を、本書の読者として想定してゐるやうです。

〈3〉哀しいことに、人間は忘れる動物であります。折角読んだ本の内容を身に付けるために、情報処理のツールとして著者は「ノート」⇒「ルーズリーフ」⇒「カード」を経て、結局「ノート」に戻るといふ体験をしました。ここは現在なら、PCやタブレット端末を駆使するところでせうか。

〈4〉本とどう付き合ふか。著者は「ケチはいけない」と説きます。読みたい本は買ふべきといふ話の他に、読み始めた本は最後まで読まねばならぬ、と考へるのも「ケチ」の一種なのださうです。あと、書物に有意義なことを求めすぎるケチ、それから名著と呼ばれる書物に対し、一字一句をゆつくり噛み締めながら読まねばならぬと考へるケチに警鐘を鳴らします。

〈5〉読書論を書く人は、かなりの確率で「外国語」の修得の必要性を述べてゐます。ここでも、洋書とどう付き合ふかの要諦を論じてゐます。

〈6〉新しいマスメディア時代の読書とは何か。未来の「焚書坑儒」を描いた『華氏四五一度』を紹介し、その世界は決して夢物語ではないと教養書の行方を危ぶみます。なぜなら、昔も今も、生活を高めるための教養書を求めるのは少数派だからであると。

例へば電子書籍の出現などは想定されてゐれば、電子メディア×活字メディアといふ対立軸にはならなかつたでせう。しかし本書の発表は1972(昭和47)年。無理もないですね。
内容の古さはあるものの、本好きの考へる事は今も変らぬことが分かり、愉しい一冊と申せませう。



昭和の鉄道
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昭和の鉄道 近代鉄道の基盤づくり

須田寛【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2011(平成23)年4月発行


平成も31年4月で終了することが決まり、昭和は愈々遠くなりさうな感じです。そんな昭和の鉄道史を振り返つてみませう。
著者はJR海の初代社長にして、現在は同社の相談役の須田寛氏であります。この方は物凄い人なんですが、まあここでは経歴は省略。今年で86歳とのことですが、先日もTVに出演してゐるのを拝見し、まだまだお元気であることが分かり愉快になりました。

昭和の鉄道』は、文字通り昭和時代の日本鉄道史を概観する一冊。国鉄が解体されてJRグループが発足したのが昭和62年なので、まあ昭和の鉄道史はずばり国鉄(官鉄)の歴史とも申せませう。
更に本書では「前史」として、明治期と大正期の鉄道史に、それぞれ一章を設けてゐますので、そのまま「日本鉄道史」の体裁を整へてゐます。

章割は「昭和の鉄道Ⅰ」~「昭和の鉄道Ⅴ」に分けられ、それぞれの章で「国鉄旅客運輸の動向」「貨物運輸の動向」「民鉄の動向」について触れます。
この種の本は、どうしても国鉄の旅客事情に偏りがちですが、さういふことのないやうにとの、著者の律儀な面が出てゐます。まるで学術論文みたい。

国鉄~JRにかけて常にその中枢で活躍してきた著者だけに、「鉄道と乗客(大衆)」の距離感について敏感な記述が目立ちます。両者の距離が極めて近かつた戦前の黄金期、次第に乖離が見られる戦中輸送事情、車両不足が殺人的混雑に拍車をかけた戦後直後の、サービス以前の時代、そして復興とともに再び近くなる距離感、しかし国鉄末期の度重なる値上げやストによる「国鉄離れ」......単なるテツが書いた本とは違ふな、と思はせるところです。

逆に、身内だからといふ訳ではありますまいが、事故・事件や不祥事についてはあまり触れられてゐません。特に下山事件をはじめとする国鉄三大事件などは、どこにも記述がありません。せめて年表くらゐには載せればいいのに。
しかし全体としては、その長い歴史をまことにコムパクトに纏めた好著ではないかと思ひます。こんな感じで、『平成の鉄道』も執筆して頂きたい喃。



ふざけるな
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ふざけるな

島田一男【著】
春陽堂書店(春陽文庫)刊
1978(昭和53)年9月発行


ふざけるな。何の事でせうか。問題続きの相撲協会を指すのか。ミサイル発射を繰り返すミニロケットマンの事か。不正が相次ぐ日本企業か。
さうではありません。今年生誕110年の島田一男の作品であります。「ふざけるな」とは念の入つたタイトル。「事件弁護士」シリーズの一冊。

主人公南郷次郎は、殺し専門の刑事弁護士。そんな専門があるのでせうか。とりあへず紹介文を載せます。

 ある真冬の早朝、若い娘からの電話でたたき起こされた事件弁護士南郷次郎は、すぐさま女のマンションにかけつけたが、その電話は実は同姓の犬猫病院にかけられたものと知らされて苦笑を余儀なくされた。が、このとんだ茶番劇の裏に、彼は鋭く事件の臭いをかいだ。
 豪華マンションに住むこの女は、江戸時代から三百年もつづく老舗「金虎人形店」の孫娘で、人形店の資産は十五億円を超えるという。この茶番もその財産相続にからんでのことであるとすれば、犯罪の動機もまた一族の者すべてに、充分にあると考えなければならない。
 この茶番劇を端緒に、事件のたびに被害者に送られる人形絵葉書! 事件のカギを握る十二枚の人形絵葉書とは恐るべき殺意の予告なのか!? ―“事件弁護士”シリーズ長編傑作!


財産相続をめぐるドロドロは嫌なものでありますが、それ以外の要素もからんで、事件は複雑な様相をみせます。南郷次郎は事務所で働く助手の金丸京子や、捜査一課の板津部長刑事(通称「板チョウ」)らと共に謎に迫るのであります。ポンポンと繰り広げられる、ユウモワに満ちた軽妙な会話が良い。スピード感があるので、どんどん読んでしまひます。片端から忘れる程でした。
そして、アッと驚く意外な真犯人......結末はやりきれない展開となりましたが、重苦しさは皆無なので、読後感も軽いのです。流石に娯楽小説の巨匠であります。

しかしながら、南郷次郎のキャラが、「鉄道公安官海堂次郎と被つてゐると感じるのはわたくしだけでせうか......



君たちはどう生きるか
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君たちはどう生きるか

吉野源三郎【著】
岩波書店(岩波文庫)刊
1982(昭和57)年11月発行


何でも『君たちはどう生きるか』の漫画版が出たとかで、これもすこぶる評判が好いらしい。また、何度目かの引退宣言撤回をした宮崎駿監督が、次回作のタイトルを「君たちはどう生きるか」に決定したとの発表もありました。ただし同書のアニメ化ではなく、タイトルだけを拝借したやうで、内容は違ふみたいですが。
そんなこんなで、この本はまた新たな読者を得ることでせう。

『君たちはどう生きるか』は、1937年の作品。加山雄三や美空ひばり、水野久美が生れた年。どうでもいいけど。著者によると、既に戦争の暗雲が垂れ込め始めた時期ださうです。軍部により言論や出版の自由が弾圧され、一々発言するにも周囲の気を遣はねばならぬ空気。
山本有三らがせめて年少者には自由な気風を学んでもらひたいとして、『日本少国民文庫』の刊行を試みました。全十六巻のラインナップで、『君たちはどう生きるか』は、その最終配本でした。元元山本有三本人が執筆する予定だつたさうですが、健康上の理由から叶はず、代理で吉野源三郎が担当したといふことです。

『日本少国民文庫』の中でも、本書は「倫理」を扱ふ事になつてゐたさうです。年少者が飽きずに読破できるやうに、物語形式となつてゐます。これが良い。
主人公は中学二年生の本田潤一くん、コペル君といふ綽名で呼ばれてゐる少年であります。お父さんは既に他界し、その代りといふか、叔父さんがコペル君の精神的成長を支へます。
学校での仲良しは水谷君・北見君・浦川君。みんないい奴です。

各章の終りに、叔父さんがコペル君に宛てた「ノート」が挿入されてゐます。コペル君から、体験した事を聞いた叔父さんが、「倫理」の教科書みたいに、まさに君はどう生きるかを導くのであります。
1937年にしては、実に自由思想で物事を語りますね。ところどころに弾圧された共産主義者の恨み節みたいなものも見え隠れするのですが、多分中学生たちはそんなことはお構ひなしに、素直に読むでせう。

確かに、戦前の大日本帝国的な考へがほんの少し感じられるところもあります。いくさばかりしてゐたナポレオンを絶賛するところや、いぢめられる浦川君にも、まるで問題があるかのやうな雰囲気(無論はつきりとは言ひません)。しかしぎりぎりのところで、そのいやらしいラインを越えぬところがミソであります。
肝心の「どう生きるか」についても、かうするべきだとか押しつけがましい事は言はない。考へる材料だけ与へ、あとは君たちが解答を導くんだぜ、といふ態度に好感を持つのでした。

現在の少年少女は本書をどう読むでせうか。絶賛するのは大人の声ばかりなので、若干気になるところです。わたくしが気にしても詮無いですけどね。
デハご無礼いたします。